楽しみな事

23年働いた場所でみんなと一緒に仕事をするのもあと、7日か。

 

2度と一緒に働きたくないし

まだ、会社から離れるわけではないから

顔を見る事もあったり

会議で会う事もあったりするけど

 

付き合いで食事をしたりすることは

格段に減った。

 

自分にこれは仕事だと言い聞かせて

自分から誘ってコミュニケーションをとるために

一緒に食事に行ったりすることは

もうない。

ご機嫌をうかがうことも、ない。

 

顔を見に行く事もなくなった。

 

無理していたあの頃よりも

ずいぶんストレスは減った。

 

やりたくない事、気が乗らないことは

もうしない。

最後の日まで適当に過ごして

心を穏やかに保つことだけは精一杯やる。

 

会社を買い取ってくれる人が決まったら

もう2度と会いたくない顔はいくつもある。

 

そうなれば、きっと私は誰とも会うことはないだろう。

いったい、いつから、こんなふうに思っていたのだろうか。

それほど自分を痛めつけ、ズタズタだったのだ。

 

きっと気がついた今が

ちょうどいい頃合いだったのだろう。

気がついてしまったら、自分を痛めつけることはできない。

 

最後になるときも、きっと私は

さよならも言わずにあっさりと去るのだろう。

 

みんなと一緒に働く最後の日を

カウントするたびに

嬉しくてワクワクしてくる。

 

なんの未練もない。少しだけ

ざまあみろ。

という、いやらしい気持ちが私をウキウキさせる。

 

決して被害者だったわけではないはずなのに。

 

思い出したくもない顔がいくつもある場所なんて

もういらない。

エネルギー

これだ!!

と決めた時に沸き起こる私のエネルギーは

わらながら凄まじい。

 

スピードも半端ないので

今日は休みという事で動けるだけ動いて

思ったよりも早くに、提出するもの第一弾を

送ることができた。

 

残りの書類の準備も思いのほか早く整いそうだ。

 

なんの根拠もないけど

上手くいくような気がとてもしていて

新しい道に直走っている時の自分が

なんか、好きだな。

 

と思える。

 

こうでなければいけないのだ。

私は誰がなんと言おうと

これでいいのだ!これがいいのだ!!

と思える道を信じて

突っ走っている時がなにより、幸せなのかもしれない。

 

それがあるから、ゆっくりとのんびりした時間も

幸せに感じることができる。

 

今日は幸せで充実した日だった。

理解できないし、しなくてもいいけど

同居している母のこと。

 

母は、変わっている人だ。

もしかしたら、発達障害の一種なのかもしれない。

 

人に喜んでもらうのが大好きなのはいいとして。

それを人に押し付ける。

 

一緒に暮らすのがとても苦痛だと感じながら生活することが多い。

 

それならなぜ別居しないのか。

 

母は、一人暮らしができないだろうと思う。

私が結婚していたころ、二人の夫は、

その時々に、同居だった。

そして、いずれもその時々、私はしんどかった。

 

母一人置いて、別居という選択肢はなかった。

共依存なのかもしれない。

私も、便利に使っているのだから。

 

母は、80歳になったけれどとにかくよく食べる。

この年ごろの人は、とにかくたくさん食べないといけない。

と思いこんでいる。

 

3食、早め早めにしっかり食べる。

 

私は、3食食べると必ず太るし、自分の食べるペースは

決めている。

外食が多いから、家では調整しないと、

食べすぎて、太ってしまうのと、便秘になるのだ。

 

毎日、ご飯はいらない。

私の分は作らないで。

 

といって出かけるけれど、

家に帰ったら必ず、私の分もてんこ盛りに用意されている。

 

そこでまた、私は、嫌なことを口に出さなければいけなくなる。

 

他人がきけばそれはもう、ありがたい話なんだろう。

親に、嫌な言葉を吐きつける自分が嫌になる。

 

じゃあ、体裁よく、ありがとう。といっておけばいい。

それはできない。

家でまで嘘をつくのは嫌だ。

 

母は、私のため。といって、毎日、私の嫌がることをする。

こういうのを毒親というのだろう。

 

私はもう、54歳なのだ。

いつまでも10代の娘のように、自分の所有物のような

扱いをするのはやめてほしい。

 

離れて暮らすのが一番良いのだろうけど。今更。

 

なるべく、一緒にいないことだ。

 

昨日も、近所に、恥ずかしいことをされて

また嫌な言葉を吐いてしまった。

 

仕事のことだけでも、整えるのに必死になっているのに

親に、じぶんの気持ちを

土足でぐちゃぐちゃにされるのは、嫌なものだ。

 

仕方ないとあきらめて、無視することだ。

 

 

ちょっとワクワク

日々の中で嬉しいことは

小さく沢山あった方がいい。

 

髪をなんとかしたくて

私はそれのプロだから、自分でやる事にした。

 

ずっとあやふやだった前髪に

ストレートパーマをかけて、短くカット。

 

とてもしっくりくる。

 

誰かにお願いして気を使ってやってもらってきたけど

それがすごく嫌だった。

 

出来栄えが気にいるかどうかも微妙なところ。

 

それでも、ありがとうと、笑顔で言わなければいけないストレスが

ずっとあったのだ。

 

これも、嫌だったのだ。

 

改めて、感じた休日。

 

私は気を使いすぎる。でも仕方がない。

色んな事に気がつくのだから。

 

それで今まで来たんだから。

最近、今までやってきたきめ細かい気遣いをやめた。

 

誰かれ構わず人を気にかけることもやめた。

 

コミュニケーションは取れないけど

そんなのもういらない。

 

相手がどう思おうと、私はその場から

いきなり去る。

 

私が最後にどう思えるか。

 

と言うことがとても大切だと思っているから

残りがどれぐらいなのか全くわからないけれど

 

とりあえず、前段階として

一緒の空間で仕事をするのは後8日。

 

自分のやりたい事に集中しよう!

穏やかにやり切る

私が必死で作ってきた場所で働くのももう少し。

 

最近、穏やかな気持ちで過ごせる日が増えてきた。

今までなら、当然、嫌なことも

その子のためと思って言ってきたが

もうそれもやめた。

 

言ったって変わらない子は変わらない。

新しい会社に変わってから、どうなろうと

もう関係ない。

 

今自分がこれからのために

人のために残していくもの、いらないもの。

誰に気持ちを向けるか。

 

そんなふうに思いながら、今日は一日

お客様に向き合い、幸せな日だった。

 

終わるに近づくにつれ、感謝の気持ちは持ちたい。

心からそう思えないと、今から私が

私自身のためにやろうとすることが

うまく進まないようにも思う。

 

嫌な場所から逃げ出すのではない。

やることをやりきって、次に進みたい。

 

朝から、集めなければいけない書類を大急ぎで集めた。

案外思うより、早く想いは叶うかもしれない。

 

雑音

久しぶりのズーム会議。

私の心はこの場所からも少し離れて来ている。

 

好きじゃない人の話は入ってこない。

興味のない話は入ってこない。

嫌いな人の話は雑音にしか聞こえない。

 

今までなら、それでもなんとか

ついていこうと、聞く耳は持っていたはず。

 

今後はもうない。

 

と言うことがはっきりしている関係において

頑張って聞く必要もないし

ここに座っているのも後一年もない。

 

一年は長い。

 

私の時間の感覚がとても早い。

ついこの間、年末年始に自分の未来を決めてから

もう春になった。

 

今年の年末には

 

ああ、楽!

 

と言ってお正月が迎えられますように。

答え合わせ

今日は魚座のオイルを作りに出かけた。

 

選んだ香りを少しずつ調合していく。

 

個性はそんなに強く無いけど

心地の良い、とにかく優しい香りが出来た。

 

本来、私はこうなのかも知れない。

平和で穏やかに過ごしたい。

誰とも自分とも戦ったりしない。

 

二回目に会ったその人は

やっぱり何を言われたのかあまり覚えていないけど

 

今の状況がとても答え合わせになった気がして

自分に優しい気持ちでいられる。

 

1ヶ月ぶりに行ったネイルは

いつものネイリストがいなくて、初めての人だった。

一年以上同じ人が担当してくれていたが

相性はそれほど良かったとは思えていなかった。

 

今日のネイリストは私がして欲しいことを

きちんと最初からやってくれて

嬉しくて、そのことを伝えた。

 

もう一度やってもらいたくなる人だった。

 

今日もいい日で良かった。