受け継いでいくこと

知り合いの社長は、四代目として家業を継いでいる。

180年だそうだ。

 

すごいと思う。そのうち一人でも、

自分の好きなことではない。

他にもやりたいことはある。

と、思った人はいなかったのだろうか。

 

脈々と注がれていく家系というのは、

生まれた時から洗脳は始まっている。

私もそうだった。

 

今となれば、自分にとって悪くはなかったけど

自分で職業を選ぶという思考はなかった。

 

この前見たバイオリニストの言葉に

同感した。

 

この職業は天職ではない。だから、65で引退し、

自分のやりたいことをやると決めいている。

ただ、まだやりたいことがなんなのかわからない。

 

全くもって私と同じだと思った。

辛かった苦しかった、でも、それだけでは

続けてこれなかったから、なんとかその中に

楽しさとかやりがいを無理に見つけるように過ごして来た。

やめる。と言う選択はなかった。

洗脳されてきたから、他のことなんて

考えられなかったのだ。

 

今、とても自由に過ごしている私が

いつまで経っても、不自由だと感じているのは

そう言うことから抜け出せてないからかもしれないと気がついた。

 

私って、本当はどんな人間だったんだろう。

人は周りの環境で、本来の姿から

確実に変わる。

人のせいにはしない。

自分が生きて来た今までを、否定することになるような気がするから。

 

そんなの、可哀想すぎる。

 

小さな出来事を一つずつ、まじめに

向かい合って、それは、主に

人と接することだが、

とても、嫌な仕事だった。

 

昨日もそれを、やった。

そこから得る、大切なことや、幸せなこと、

成長、相手への影響。周りに及ぼす影響。

 

どんなに小さくても大切なことに挑む前には

神頼みまでする。

 

どうか、うまくいきますように。

 

そんなことをしてまでも、自分をすり減らして

やって来た仕事。

 

私は次に継げなくてもいいと思っている。

 

昔、言われたことは

会社は長く継がれなければいけない。

 

私はそんな気持ちはさらさらない。

二代目だが実質、大きくしたのは私。

継ぎたいと思う人がいれば、それでいいし

いなければ

 

自分が作ったものを、後始末するだけだ。

仕事、あらゆる人間関係、お金、持ち物に、

執着はない。

 

私をこの世に出してくれた、親、先祖、だけは

大切にしたい気持ちはある。

 

家は息子には継いでもらいたいけれど

家業は別になんだっていい。

 

地球上を考えれば、私の作ったものなんて

どれほどのものでもないと思うのだ。

 

180年続いている会社、すごいなと思う。

途中で、誰一人として

違う道を進もうとしなかったことが。